ドクターの雑記帳

冨樫クリニック

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第22回岩手山焼走りマラソン

2013.07.17


	第22回岩手山焼走りマラソン

714日(日曜日)に岩手県の最高峰である秀峰・岩手山の麓で岩手山焼走りマラソンが開催された。ジョギングを開始して間もない頃にこの大会に出場して、登り坂に苦しめられもう2度と走るまいと思ったものです。それでも岩手山の大自然のパノラマと大会後の豚汁が忘れられず、今回は3年ぶりの出場です。

 5月、6月と看護学校の講義、会議、学校検診そして往診と毎日が忙しく、なかなか練習時間もとれません。それでも、晴れた青空をみると、仕事するより走りたくなります。走らないでいられない症候群になってしまいました。テレビで、マラソンほど健康に悪いスポ−ツはないと言っていましたが、我々は健康のために走っているわけではありません。走るのが好きだから走っているのです。

 当日は、朝6時に自宅を出発して、8時に八幡平市の岩手山に到着。あいにくの曇り空で、岩手山の山頂は、雲で隠れています。参加者は2千名以上で、私が出場する10キロは約千名がエントリ−していました。練習不足とはいえ、さすがにスタ−ト地点に立つと、興奮して、全力を出し切ろうと自分に誓いました。

10キロコ−スは、前半の5キロは下り坂、折り返しからは標高差60メ−トルの登り坂で、、5キロの折り返し地点では、25分と順調でしたが、後半はきつくてバテました。途中の給水地点では、水を頭からかぶり、なんとか最後まで歩かず走れました。記録は、1時間11秒で、4059歳男子部門で約450名中347位。満足すべき結果です。

ゴ−ル後は、お握り、キュウリ、豚汁を地元のおばさん達に御馳走になりました。有難うございました。

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マラソン参戦記−−−−−大阪の借りは東京で返す

2013.07.10

マラソン参戦記−−−−−大阪の借りは東京で返す

マラソン参戦記パ−ト2

                  冨樫 クリニック     冨樫       孝

中年太りで血圧と中性脂肪は高くなり、いわゆるメタボ。さらに、ス−パ−の買い物で妻に付き合っても膝が痛くなり、これではまずいと3年前にジョギングを開始した。

昨年はハ−フマラソンを3戦とも完走して、自己最高の2時間4分の記録も出た。次の目標は、何といってもフルマラソンである。

【大阪マラソン2012------バスに収容されて】

過酷な初フルマラソンは、『34キロ関門』を制限時間までに通過できず失格。私の完走の夢を打ち砕いた。平成24年11月25日に第2回大阪マラソが開催された。約3万名のランナ−が晩秋の“浪花の街”を駆け抜ける都市型大型マラソン大会である。

膝痛のため9月以降は走れない日が続き、楽しみにしていた円谷幸吉マラソンと山辺町の星ふるマラソンは棄権した。それでも、筋力が落ちない様にトレーニングジムに通った。10月には少し走らないで膝を安静にして様子をみていたが、大阪マラソンから案内状が届いたら、気分は高揚し、無理を承知で走り込みを再開し、大会1週間前には再び膝の痛みが悪化した。

大会前日は、外来も早く店じまいして、いざ仙台空港から大阪関西空港そして受付のインテックス大阪に到着。会場にはスポ−ツ店など100店舗以上の出店があり、まるでお祭りのような賑わい。2時間以上も写真撮影や買い物を楽しんだ。友人からは激励のメ−ルが届き気合十分にも拘らず、87歳の父親からは、『お前ももういい加減、年なんだから無理するな。途中棄権してもいいから』と何とも士気の下がる電話、更に妻からは、『死なないで帰ってきて下さい』のメールが入る。午後9時にホテルに到着しビ−ルを飲んで就寝。翌日は午前6時に起床し軽い朝食を済ませ、スタ−ト地点である銀杏並木が綺麗な大阪城に8時に到着した。

気温8.9度、快晴。Aブロックから順に整列ですが、初マラソンの私は、かなり後方のPブロック(スタ−ト地点より1キロ以上後方)に並んだ。カラフルなウエアに身を包んだ3万名のランナ−は壮観です。通常は号砲に歓喜し、雄叫びをあげて拍手しながらスタ−トするのに、今回は午前9時スタ−トの号砲は我々末端には聞こえず、9時15分頃に少しずつ動きだし、スタ−ト地点を通過したのは、9時半。

15キロ地点までは、1km7分で順調に走れたが、20km付近からは、満身創痍。膝が痛くて思うように走れません。トラ模様の服を着た大阪のおばちゃんの『がんばりや〜』の声援にも応えることが出来ず、脚を引きずり10メ−トル走って歩くといった惨めな格好です。御堂筋や通天閣をハイタッチしながら颯爽と走る夢は泡と消えた。30kmからはほとんど歩けず脚を引きずる状態です。それでも、制限時間の7時間以内で完走しようと、腕を振り一歩一歩脚を進めたが、34km地点で悪魔のような係員が、私の前に立ちはだかり、歩道を通ってバスに乗るように指示。制限時間オ−バ−です。悔しさとももう走らなくて(歩かなくて)もいいんだという安堵感。収容バスでゴ−ル地点に到着。完走者からは冷笑と冷たい視線を浴びせられ、悔しさと恥ずかしさ。完走賞とメダルは貰えず、ただ虚しく着替えて大阪空港に向かった。午後7時半の飛行機に乗り、自宅到着10時半。

  くやしい 大阪の借りは東京で返す!

【東京マラソン2013---大阪の借りは東京で返す 】

仕事よりも家庭よりもマラソン練習が第一である。髪もスポ−ツ刈りにした。大阪マラソンでは、34kmの関門でタイムオ−バ−となり、収容バスに乗った悔しい思いを胸に、 大阪の借りは東京で返すと心に誓いこの日を迎えた。

 12月に入り膝の痛みも和らぎ練習にも熱が入る。

『フルマラソンは生半可な気持ちでは完走はできない。もっと脚力をつけないと30km以降は走れない。意地でも完走してやる。』と気合いだけは十分で、連日7〜10km走り月間の走行距離は200kmは超えた。1月には東京マラソンから案内状が届き、興奮と不安と焦りが錯綜した。元旦には錦秋湖マラソンを5回優勝し、ゴーストコ−スマラソン・ボストンマラソンにも出場し、フルマラソンを2時間21分で走った脚力を持つ古川中央眼科の鈴木浩一さんとも一緒に走らせて頂いた。

悔しいかな。大会2週間前には、両膝に違和感を覚え、次第に膝の内側から下方にかけて痛みが強くなり、3km走って激痛が出る始末。年齢を考慮しない練習のやりすぎは自分でもわかっていた。膝のアイシング、マッサージ、湿布そして鎮痛剤(ロキソニンとボルタレン座薬)を使い、大会2日前までは135kmと距離は短いが、毎日走った。故障も怪我も実力の内。誰しも万全で大会を迎えられる訳ではない。『諦めない』と『言い訳しない』を心に誓った。

平成25年2月24日に第7回東京マラソンが開催された。都庁前をスタ−トして、皇居・銀座・浅草・臨海副都心と42.195kmの東京のど真ん中を国内外のトップランナ−を含む36千名の市民ランナ−が参加する国内最大級の市民マラソン大会です。大会前日は、東京ビッグサイトでランナ−受付をして、新宿のホテルに午後7時到着。一緒に走る姪と応援の兄貴の3人で一緒にビ−ルを飲んで談笑。遠慮しない他愛ない会話が私をリラックスさせてくれた。午後11時には消灯。

 大会当日は緊張のため午前4時には起床。着替え、朝食そして姪にテ−ピングしてもらう。彼女と完走を誓い熱い抱擁をしていざ出陣。相変わらず、サングラス・iPodと格好だけは若い。幸いジョギングしても膝の痛みはなく、この日を迎えられたことを感激。絶対完走してやると心に誓い、スタ−ト位置に並んだのが午前820分。私の位置は、かなり後方のGブロック。午前910分の号砲にも我々は誰一人身動きしない。920分頃にやや全体が動き出し、スタ−トラインに到着したのは、940分。大声援の中をこれから走る私は、高まるテンションを押さえながらストップウオッチを押す。マラソン大会は、タイムの違いはありますが、ランナ−全員が主人公です。

『焦らず、抑えて、ゆっくりと 』と自分に言い聞かせて5km40分弱のラップを守った。今回は完走することが目的で、決してスケベ心を出さない様に気を付けた。

 1万人を超えるボランテイアの笑顔、優しさそしてハイタッチに私はパワ−をもらい、150万人を超える観衆からは、声援・勇気・励まし・叱咤。『何のためにエントリ−したの?』『棄権してもいいんですよ』とのメッセージにはファイトがでた。

30kmまでは順調。雷門の前では猪瀬知事と握手し、増上寺の前では兄貴に記念撮影をしてもらい、銀座では、お店の人にケ−キを御馳走になった。東京の観光名所を駆け抜けた。膝の痛みもなく、5時間位で完走できるか思ったが、35kmの築地を過ぎたころから膝が痛くなり、佃大橋では走ることが出来なくなった。残り3、21kmの立て看板をみる度、もうすぐだ、頑張れ、諦めるなと自分に言いきかせた。友人、両親そして家族の声援が聞こえてきた。東京ビッグサイトの最後のコ−ナ−を曲がると東京湾に沿った残り195メ−トル。スポ−ツ番組で何度も見たゴ−ルゲ−トが見えてきた。最後のフィニッシュは笑顔で両手を上げてガッツポ−ズ!5時間3114秒。その後は、脚を引きずりながら、タオルと完走メダルをもらい、4時間40分でゴ−ルした姪と応援してくれた兄貴と完走の喜びを分かち合い東京駅でビ−ルで乾杯!!

 応援していただいた皆様、有難うございました。

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